感情を扱う 感情の源、本質をみる

最近参加した、メディテーションのクラスで感情の扱い方のお話を聞きました。

今回は、そこで感じたこと、理解したこと、その思考の整理。 

 

メディテーション、いわゆる瞑想は自分の内側と繋がる一つの方法ですが、

湧き出る感情を、そこにある感情を、

それが例えどんなものでも、何色であっても、

喜びでも、悲しみでも、怒りでも、不安でも

ただただ、「みる」「感じる」ということをします。

 


その感情をみている私や感じている私は、

「常に、実は心穏やかで、静かである」という事実に

不思議さを感じるけれど、

どんなに怒り狂っていても、どんなに怖くても、

その感情を「みて」「感じる」ことが出来る自分がいるということは

自分自身が、次の一歩、次のステップに行く道が開かれているということ。


 

「子どもが食べ物を落とす」とか

「子どもがテレビをずっと見てる」とか

何気ないと思われるような行動を目の当たりにしても

そこからフツフツと怒り、不安、恐れなどが出てきて、

どんなに「なぜこんな感情が出てくるのだろう」と自問しても

なかなか答えもでず、

怒ったり、不安になったり、したくもないのに、

またそのような感情が、何度も何度もひょこっと顔を出して

あなたを苦しめる時、

それは、その感情の「本質」や「源」を

深く探る時なのかもしれない。

 

“How is this feeling serving me?”

「この感情は、あなたにとってどんな役割を果たしているのか?」

  • この感情は、私の何を守っている?
  • この感情を持つことで、私にメリットがあるとすると、それは何?

 

 

人は、誰しも、そこに何らかの「メリット」がないと

その思考や感情を持たないと言います。

例えそれが、どんなに「ネガティブ」と捉えられるようなことでも。

必ずあなたを何かしら守り、

必ずあなたに何かしらのメリットをもたらしている。

 

最近、私が感じていた「怒り」の感情は

「不安」からきているものだと気づきました。


 

自分の思い通りにならないことへの怒りは

全ては決まっていない将来への不安からきていた。

そしてこの不安があることで、私は、

「健康的な子どもを育てている母になっているつもりになる私」

がいることに気づく。

 

自分=いい人 になったつもり。

そこには、完全にエゴがあり、

そして、この感情の裏に隠れていた「思考」は

ハッピーで幸せな時間を家族と過ごしたいと思っている私には

全く必要のないものだということにも気がついた。

 

私は、今まで私を守ってくれていた、けれど本当は必要のなかった

その「怒りの本質」を静かに手で持って、

感謝の気持ちを表した。

 

「これまで、ありがとう。今日から私は、もう大丈夫です。さようなら。」

 

そして、その「怒りの本質」をふーーっと風に流すと、

肩の力がなんだか抜けた気分。

 

 

あなたを苦しめている感情の源には、

これからのあなたには、必要のない、そんな思考が

眠っているかもしれません。

 

今回、このクラスで学んだことは、また出てくるであろう

手放すと自分が軽くなる感情が出てきた時に、

いつでも使える素敵な方法。

 

あなたにも共有したく、書き留めました。

 

私が参加したのは、現在オンラインで沢山のクラスを開講されている

コンセプトスタジオVedaの吉川めいさんのクラス。

http://vedatokyo.com

 

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