これからちょこちょこ、書いていこうかと思っています。
「グローバルに生きる女性」というテーマについて。
海外に住み、働いてきた経験から、このテーマで
お話を聞いてみたいというリクエストを受け、
こちらでも発信していこうかなと思います。
こんな質問を頂きました!
よく「グローバルに」「グローバル社会」などとグローバルという言葉が一人歩きしていると思います。本当にグローバルな環境で生きてきたゆかこさんが考える「グローバルってこういうこと!」をお聞きしたいです。また、日本という国って本当に独特だと思いますので、日本が提唱しているグローバルと、ゆかこさんが経験されてきたグローバルのズレなども伺ってみたいです
この質問を受けて、私はこれまで
「グローバルに生きてきた」という自覚が
あまりないことに気がつきました。
気づけば、グローバルな環境に身を置いてました。
そこで、グローバルに生きるとはどういうことか?を考えると
【自分の当たり前を当たり前と思わない生き方】という言葉が
出てきたのです。
幼少期は2年間、小学校1年生までカナダで過ごしました。
たくさん記憶があるわけではないけれど、
お弁当がサンドイッチだけなんだ、とか、マックなんだ!とか。
りんごって丸かじりするんだ、とか人参とブロッコリーって
生で食べられるのね、とか。
高校時代にオーストラリアのタスマニアでホームステイした時も
水が貴重だから、シャワーで頭を洗うのは週2日とか、
お昼はチーズとクラッカーなのか!とか
モーニングティーという10時くらいのティータイムがあるのか!とか。
4年制の大学にオーストラリアで通いましたが、
自分で「暮らしていく」という意味で、
郵便物はちゃんと届かない、とか。
修理を月曜日にお願いしていたけれど、待てど暮らせど来なくて、
電話したらあっさり忘れられていて、じゃぁ明日と言われても
次の日にも来ないとか。
金土日はみんな休みたいから、そのようなサービスは基本的に休みとか。
とにかく、色んな自分の中にあった「常識」「当たり前」は
決して世界の当たり前ではないということ。
その当たり前ではないことに、なぜこうなのだ!!と
思うこともあるけれど、
その当たり前でないことを受け入れながら
自分らしく生きていく、ということが「グローバルに生きる」ということ
なのかもしれないなぁ、と感じています。
0−6歳の子どもとの毎日を心地よく過ごすヒントが盛り沢山。
海外幼児教育現場で培ってきた経験、
我が子との関わりを含めて、
具体的例を混えながらお伝えしています。
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